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知られざるコンサルタントの世界②

エンジニアであれ、営業であれ、若い人の中には「コンサルタント」という響きへの憧れがあるように思いますが、コンサルタントの世界はいまだによく知られていないように思います。そこで、かつてコンサルティングファームに所属し、現在もフリーコンサルタントをしている私が、コンサルタントの世界を皆さんにご紹介します。

今回は、コンサルタントにとって重要な要素を通して、他の全ての事にも通ずる重要なものをお伝えしていきます。

「自分を疑う」ということ

コンサルタントにとってとても重要な要素、それを端的に言えば「自分を疑う」という事だと思います。

つまり「自分の言っている事は正しいのか、自分のやり方は本当にそれが最善なのか、自分の出来ることはこれで全てなのか」などなど、常に自問自答を繰り返す事でもあります。

ただし、これは「自信を失う」という事とイコールではありません。

コンサルタントが提案する際に「これは違うかもしれませんが・・・」といった態度でいるようでは、「誰がそんなものを任せるか!!」となってしまいます。人様に提案する以上は、「自分としてはできると思っている」という最低限の自信を持つのは当然のことでしょう。

では一体何が違うかといえば、「自分を疑う」ということはつまり裏付け・検証をするための見直しのことであり、それをするからこそ、根拠のある自信も持っていけるのです。

コンサルタントの提案資料にあるもの

コンサルタントの提案資料において、クライアントに提案するだけのものを並べるだけであれば、そんなに分量はありません。

しかし実際にはコンサルタントはなかなかに重厚長大な提案資料を提出します。

その中身が何で構成されているかと言えば、「自説を裏付けるもの」なのです。

ここにおいても、「自分を疑う」という事が非常に大きく左右します。

「自分を疑う」という事をしない人間は、自説についても「正しいだろう」という観点で接し、その観点で見て十分であろう裏付けるデータを準備します。

しかし「自分を疑う」という事を十分にしている場合、自説が正しいかどうかに疑いを持っていますから、「疑いの目でもって見ても十分と感じるだけの裏付け」を準備します。

ここにこそ、大きな差が出るのです。

クライアントがコンサルタントに対して「正しいだろう」という目で見てくれるのであれば、乱暴に言ってしまえば提案資料などももはや何でもいいようなもので、とりあえず言った事には「そうなんだな」と思ってくれるでしょう。

しかし現実にはそんな甘いことはもちろんそうそう無く、「本当にそれが正しいのか、それが必要なことなのか」というのを、疑いの目で持って見てきます。この、疑いの目で見られても説得できることこそが、相手を説得するのに何よりも必要なのです。

そのために、「自分を疑う」ということが見せかけだけのポーズなどではなく、実際に高い次元で実現している必要があり、その全力で疑う状態の自分を納得させることができたのであれば、疑いの目で見てくる他人をも納得させることができるのです。

これは、コンサルタントにとって非常に重要なスキルと言えるでしょう。

一般的な業務全てに活かせる「自分を疑う」姿勢

これまでご紹介してきた「自分を疑う」という事は、何もコンサルタントにとってだけ重要な事ではありません。

その他のどんな仕事においても、この「自分を疑う」という姿勢は、他者の説得をする際には重みを与え、業務の効率を高めることに寄与するのです。

ほとんどの仕事において、ステークホルダーを説得する必要が生じます。そのような時、既に書いたコンサルタントと同じで、「自分を疑う」ことによって、説得力を高めることができます。

またそれだけではなく、誰を説得するでもなくとも「自分を疑う」ことにより、その施策が本当に正しいのか、他にもっと良い施策は無いのか、常に自問自答をし続ける事になります。

この「自問自答し続ける」という事が非常に重要で、言い換えれば自己の中でPDCAサイクルを回し続けるという事になりますから、常に質を高め続ける、向上し続けることが出来るのです。

能力が高い人ほど、自分を疑っている

一般的な人であれば、「能力が高い人ほど自分に自信があって、能力が低い人ほど自分に自信がない」と考えがちでしょう。しかしこれは大きな誤りです。

実際には、往々にして「能力が高い人ほど自分を疑い、能力が低い人ほど自分に疑いを持たない」という状態だったりします。

ここで重要なことは、「自分を疑う」ということは「自分に自信が無い」という事と必ずしも全く同一ではない、ということです。

大事なことは「疑う」という事なのであり、ただ自信が無いこととは違い、裏付けを取ること、それについて考え続ける事、そこにこそ大きな意味があるのです。

また、「自分で早くに限界を設定してしまわない」という効果もあります。

「もうこれ以上は無理そう」と思ったとしても「本当にそれが無理なのか」という事を考えることが「自分を疑う」ということです。

もちろん根拠も無く「無理なんてない」と思いこむことも正しくはありません。「無理」と思いこむ事もなければ「可能」と思いこむこともない。本当にそうなのかの根拠を常に探し続ける、それこそが「自分を疑う」という事なのです。

能力が低い人にありがちな展開は、「最初は自説に根拠もない自信を持ち、それが否定されるとなんらかの逃げを打つ」というものです。

当面は根拠も無く自信を持っていますから、聞く耳もろくにもたず、改善もする必要性さえ感じておらず、まったく進歩しない状態にあります。

そこからもしその自信が打ち崩された場合、今度は「自分には無理」となって、逃げだしてしまいます。「自分なら行けるのではないか、無理なんかじゃないのではないか」という「自分への疑い」も持つことはありません。

能力が高い人は逆に、既に十分に高い次元で出来ていたとしても「もっと出来る余地があるんではないだろうか?」と疑います。これによって、既に十分にも関わらず、そこから更なる成長を遂げたりするのです。

結果的に、能力が高い人は常に上を目指して動き続け、能力が低い人はいつまでもその場から動こうとしません。これでは、差が開く一方です。

謙虚である、ということの重要性

これまでずっと書いてきました「自分を疑う」ということ、これは言い換えれば「謙虚である」という事でもあります。

これも既に書いている通り「自信を持つ・持たない」という事と同一のように感じられがちですが、それとは異なるものがあります。

「自信を持ちながら謙虚である」ということはつまり、十分な疑いを持って考証を重ね、それでも納得できるだけの結果を元に持った自信と、しかしそれでもまだ見落としているところがあるのではないか、とも思うだけの謙虚さ、です。

これがただ自信が無いだけであれば「どうせ自分はやっても無理」となり、裏付けどころか何もしようとしません。これは謙虚ではなく、ただの自虐です。

そのため「謙虚である」という時には、必ず行動が伴います。

自信があろうが、出来ていようが、更に努力をして行動をし続ける。これこそが謙虚である究極的な姿勢であり、自分を疑うことも含めて、行動に移してこそ意味があります。

世の中に少なからずいる「机上の空論で口先だけ達者な人」というのは、ほとんどがこの「行動」を伴いません。そのため、自分を否定するようなものを吟味することもなく、パッと見は正しいことを言っているようでありながら、いざ実際の現場となるとまるで力を発揮できなかったりするのです。

謙虚に自分を疑い続け、そのために行動し続ける。

これこそが、能力を向上させ、まわりの人たちを納得させ、すべてを上手く回していく、コンサルタントの必殺のスキルと言えるでしょう。

 

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